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Kimono唐草本店にて
Kimono唐草本店にて行われる祭事・展示会、その他企画等の写真を掲載。
美しい振袖の着姿
中学校ゆかた着付け教室講習会 新聞記事
淡路島の中学校にて行われた、ゆかた着付け講習会が
6月17日付け神戸新聞朝刊の淡路欄に掲載されました!
神戸新聞 第40387号 2010年(平成22年)6月17日 木曜日
©神戸新聞社
中学校ゆかた着付け教室講習会
淡路島の中学校にて、学年全生徒を対象とした
Kimono唐草主催・ゆかた着付け教室講習会が行われました!
皆、熱心に着方の説明に耳を傾けて、実はこんなにも着物に興味があったんだなあ。
と感じさせて貰えました。生徒さん共々、私達にとっても、
とても有意義な時間を過ごさせて頂けたのではないでしょうか。
若い活力と、あふれ出す元気をありがとう!
琉球びんがた展示会「美(ちゅ)らさ 肝(ちむ)ぐくる かりゆし展」
Kimono唐草本店にて、NPO法人沖縄県工芸産業協働センター・沖縄工芸活性化支援会主催による、
琉球びんがた&物産展 「美(ちゅ)らさ 肝(ちむ)ぐくる かりゆし展」が催されました。
2010年 第1回 沖縄列島大工芸展
店内は沖縄一色となり、一足早い爽やかな夏の風が通り抜けました。
沖縄県の工芸品のひとつである「琉球紅型(びんがた)」は、
着物としてはもちろんのこと、大きな額に入れて飾ったり、
着物以外ででも触れあっていたくなるような、大変美しい染物でした。
紅型(びんがた)のおこり
古くは琉球王府、首里、浦添を中心に、婦人の礼装として又神事に関する
古式の服装として摺込みの手法で染められたのが、
琉球染色技術の起源だといわれています。
その後、14〜15世紀頃、中国、東南アジア全域との海外交易により中国の印花布の技法、
印度、ジャワ更紗等の染色技術が導入され、あらゆる東洋文化の粋を吸収して
沖縄独特の気候風土の中で自然に育まれ、独自の技法を持つ紅型が誕生したのです。
以来、琉球王府の保護の下に南島特有の神秘的な美しい染物、東洋花布として、
中国福建市場への貴重な交易物になり珍重されました。
永い歴史と風土に培われて高度な工芸技術が発展し、洗練された紅型の華麗さは
その芸術性においても、世界の人々から比類のない染め物として、
今日もなお重宝される所以であります。
紅型(びんがた)の特色
絵画を憶わせる立体的な図案の構成一つの文様の中に、四季の風物が
一つに融け合って見事に調和を保ち、洗練されたその透明な色彩の美しさは
時を超え何時の時代でも変わらない魅力を備えています。
主催=NPO法人沖縄県工芸産業協働センター
沖縄工芸活性化支援会
共催=株式会社中西呉服店 Kimono唐草本店
後援=内閣府沖縄総合事務局、沖縄県
展示会写真館 千利休 侘び寂びの世界展
特別展示、千利休「侘び寂びの世界展」(非売品)の展示会が催されました。
日本の感性、詫びの精神
希代の茶人達の愛したお道具の数々…。
茶道具のみならず、本物を好まれる皆様に喜んでいただける品々が
なんと、ガラスショーケース無しで展示されました!
数百年前の物と同じ空気を共有できる、とても幸せな空間がそこにはありました。
- 左上 呂宋陶製雲龍箆彫細工(るそんとうせいうんりゅうへらぼりざいく)
- 太閤・豊臣秀吉に献上された、由緒ある器だそうです。呂宋とはフィリピンの事を指します。
- 中央上 蘭引き(蒸留器)
- この器に水を入れて沸騰させ、水蒸気を一部の茶の湯で使用したそうです。
- 右上 印籠(作:尾形光琳)+根付いろいろ
- 根付とは、印籠を持ち運ぶとき帯に挟んで留め、落ちないようにつなぎ紐の端に付ける具を根付と称しました。
- 左下 一閑張茶道具(いっかんばりちゃどうぐ)
- なんと器全てが紙製なんです。野点用として造られた物だそうな。しかも籠の中に全て収納できるので、軽くて持ち運び易いという、何ともよく考えられた一品です。
- 中央下 蟲籠
- 茶室に見立てられた「虫かご」なんですこれ。後のにじり口が虫の入り口になっており、心憎い演出を見せてくれます。
- 右下 蘭鋏(蘭や菊を切るハサミ)
- なんと、部品全てが竹で出来ているハサミです!蘭や菊は鉄に弱い性質をもっており、本来茎などは手でちぎっておりました。しかし招いた客の前でそんな無作法な事はできない。という考えから、竹製のハサミが造られたそうです。
- 左 利休居士肖像画(りきゅうこじしょうぞうが)
- 千利休の肖像画。俳人で塗師・浮世絵師の小川破笠(おがわはりつ:1663-1747)が描き、不審庵六代覚々斎(ふしんあんろくだいかくかくさい:1678-1730)讃が添えられています。
- 中央 豊太閤肖像画(ほうたいこうしょうぞうが)
- 筆者未詳。天正13年(1585)関白となり、「豊臣」の姓を賜り太政大臣。天正19年(1591)関白を秀次に譲り、「太閤」と称す。慶長3年(1598)朝鮮出兵を半ばに病没。現在は「豊国神社」に御霊が奉られています。
- 右 鶺鴒花押状(せきれいのかおうじょう)伊達政宗 筆
- この書状は、伊達正宗の花押(鶺鴒の花押)が入れられた御礼状です。書の左下に書いてあるサインのようなものが花押です。「花押」とは、署名の代わりに用いられる記号・符号の事を言います。また、伊達政宗は、和歌や茶道にも通じていることで有名です。
- 左 羽柴秀吉件状(はしばひでよしくだりじょう)羽柴秀吉 筆
- 織田信長の上洛にに併せ、上質の紙、小者、女性、土産や着物を用意する様、秀吉がその家臣であるト真斎と弥七郎に命じた書状です。花押の形状や内容から天正元年〜十年頃の物と思われ、三鬼清一郎編「豊臣秀吉文書目録」に掲載されておらず、新出の貴重な文書と云えるでしょう。
- 中央 家康公書状 徳川家康 筆
- 初代将軍・徳川家康より、小松宰相殿(丹羽長重)宛ての卯月廿九日(4月19日)付書状です。教科書で勉強した通り、我慢強い筆跡がなんとも家康公らしく思えます。
- 右 信長朱印状 織田信長 筆
- この直納状は「天正三年十一月六日付で、山科左衛門宛てに、山城国西梅津内弐拾石の領地を納めん」と云う、朱印状です。朱印には、“天下に武威を布く”の意志を示す「天下布武」の字が彫られています。
主催:株式会社中西呉服店
協力:Teioコレクション
アジアの染と織展を撮影した画像コーナーです
シタール奏者 石濱匡雄氏をお招きして、演奏を聴きながらマサラチャイを楽しむ。
非常に優雅な空間が作り出されておりました。
また、染物、織物もステキな商品が多く、
中でも特に「バティックショール」は、信じられないお値打ち価格で質も大変素晴らしく、
お客様に大好評の商品でした。
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